カウンセリングサービスの帆南尚美です。
ブログにお越し下さり、どうもありがとうございます。

ずいぶん前の話ですが、私は当時勤めていた会社の部署を異動したときに、新たに上司になった方と面談をしました。

その上司の方は、仕事上の説明をひと通り終えると、僕のモットーなんだけど、といって「巧遅は拙速に如かず(こうちはせっそくにしがず)」という言葉について話してくれました。

私はことわざなどの一般常識に弱いので知らない言葉だったのですが、仕事を完璧な形で仕上げようとして時間をかけるより、完璧でなくても迅速に仕上げてくれ、というのが主旨のようでした。

私はその話を聞いてからというもの、なんだかモヤモヤした気分でした。

それまでの私は、仕事をどれだけ完璧な形に仕上げるか、ということにとてもこだわって来たのです。

仕事上のメールなどを出すときでも、細部に気を配って、これで完璧だ!と思ってから出すのが当たり前だと思っていました。

そうでなければ手抜きをしているように思っていたのです。
自分がいくら完璧だと思ったとしても足りないくらいだと感じていました。完璧に仕上がると、一人悦に入っていたような気もします。

そしてその後、上司が完璧さより迅速なことを要求した理由が分かりました。その部署がとても忙しく、さっさとやらないと仕事が終わらないよ、ということだったと気づきました。

私は完璧主義を手放したいわけでもないのに、山のような仕事量のおかげで、結果的に手放すことになりました。

しかし完璧にやろうとすることが身についていると、完璧でないけれどこれで良し、と思うタイミングが分からず、またモヤモヤしました。

しかし締め切りが次々とやってくるので、私は「まだもう少しやりたいんだけど、、」と思いながらも、ひとつひとつの仕事を中途半端で気分悪く終わらせていきました。

こんな仕事の出来では周りになんと言われるやら、、などと思っていました。

ところが、です。
私が中途半端だと思って提出した書類など、誰も手を抜いたことに気づかないのです。

あれ?

私は少しずつ、何か変だなと思うようになりました。

以前はあんなに細部まで頑張って気をつけていて、完璧でなければダメだと自分にプレッシャーを与えて仕事をしていたのに、完璧でなくなった今も、私の周りは私に対して何も変わっていないように思えました。

完璧でなくてもいいんだ・・・。

私は完璧でない自分が周りに受け入れられていたことに気づき、驚きました。

そして完璧さを求めていたときは、これでも足りない、これでもダメだ、と自分を追い込んで、本当はとても苦しくなっていたことにも気づきました。

実は完璧さを求めなくなると、失敗もちょくちょくやるようになりました。

以前の私なら、仕事で失敗をするのは人生の汚点だ、くらいに思っていましたが、

次第に、小さな失敗ももちろん無い方がいいとはいえ、やってしまっても大丈夫なのだと思えるようになりました。

私は心理学でいうところの投影、すなわち外の世界は全て自分の心を映す鏡のようなもの、という法則通り、完璧でない自分はダメだと私が思っていたので、周りの人もそんな私を受け入れてくれるはずがない、と強く信じていたのだと思います。

運良く完璧主義を無理矢理にでも手放すことができたため、完璧ではない自分を自分で受け入れていくようになり、すると人からはすでにそんな私が受け入れられていたことに気づいた、、という経験でした。

完璧でなくてもいい私は、肩の力がだいぶ抜けたように思います。

オフィスから3