カウンセリングサービスの帆南尚美です。
ブログにお越し下さり、どうもありがとうございます。

電車の中でご老人に席を譲ろうかと考えているうちに隣の人が譲ってしまった、とか、あるいは席を譲ろうかどうしようかと考えているうちに、もういい、このまま気づかなかったことにしようと、寝たふりをしてしまったりして、

後味の悪い思いをしたことのある方もいらっしゃるかもしれません。

私は以前、よくそんな思いをしていました。
電車の席だけでなく、他人に親切にするということができなかったのです。

今も覚えているのは、スーパーマーケットの入り口のちょっとした段差のところで、車椅子の方が立ち往生していたのを横目で見ながら通り過ぎてしまったことでした。

手伝ってあげられたら、きっとあの人は助かるだろうな、とは分かっていたものの、その人に近づいていく勇気が出ませんでした。

もし私の力が足りなくて、車椅子が動かなかったらどうしよう、とか、手を貸しましょうかと言ったときに迷惑そうにされたらどうしよう、とか、そんなことを考えていたのだと思います。

そしてその場を通り過ぎて、その車椅子の人が視界から見えなくなった瞬間、ホッとしました。そして、すぐに、なぜ助けてあげなかったのだ、酷いやつだと自分を責めました。

自ら率先して人を手伝うとか、親切にすることを申し出るというのは、勇気がいることだと思います。

それはなぜかというと、「私の愛があなたのお役に立ちますか?」ということに、自信が持てないからだと私は思っています。

私の愛が全くの無価値だったということがもし証明されてしまったら、どうすればいいのかわからない、だからそんな気持ちを感じるくらいなら、何もせず近寄らず、リスクを取らない自分でいいと。

しかし、人は誰しも愛を与えたいものです。
そして誰かが困っているときに、愛を与えないと、自分を責めます。

こんなことを繰り返してしまうのではなく、もっと愛を与えられる人間になりたい、でもどうやればいいのかわからない、というとき、

小さなことから、人にお手伝いを「自ら率先して」行ってみることを私はおすすめしたいです。

大切なのは、手伝って下さいと言われる前に「これは相手のためになるかもしれない」と思って手を差し伸べることです。
もともと自分がやるべきこと、ではないことをやってみることです。

もしありがとうと言われたら、それはあなたの自信になるのではないでしょうか。

ただし、必ずしもお礼を言われることばかりではないと、頭に入れておかれるといいかもしれません。

例えば電車で席を譲ろうとしても断られている人を見かけることがありますよね。「私はまだ席を譲られるほど年老いてなんかいないわ!」と思われたかもしれません。人は色々な理由で、愛を受け取ろうとしないことがあるということです。

だから、へこむ必要はありません。
愛を与えていれば、受け取ってくれる人と、受け取ってくれない人がいるんだな、ということがわかってきます。

受け取ってもらえないときは、あなたに理由があるのではなく、相手の都合によるだけだとわかってくるのではないでしょうか。

心理学では、愛は与えれば与えるほど自分の中の愛が増えるといいます。

断られる可能性があっても、手を差し伸べてみる(与える)ということだけで、あなたの心の中が穏やかになっていくのを感じられるのではないでしょうか。


先日、自宅近所の踏切を渡ろうとしたら、車椅子の男性が一人で踏切を渡っているのが見えました。

踏切は段差がいくつもあり、電動ではない車椅子には一苦労のようでした。
ヨイショ、ヨイショ、と声を上げながら、踏切の線路を一つずつ乗り越えていました。

私は彼に近づいて行き「大丈夫ですか、お手伝いしましょうか」といいました。

すると彼は必死の形相で手を動かしながら、言いました。「いえ、大丈夫です!」

私はそうですか、とにっこり笑顔を返しました。

彼は「はい、ありがとうございました!」とおっしゃいました。

それだけのことでした。
でも、なんだか心があたたかくなりました。

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